わかる
l 人が「わかった」とか「どうもわからない」とかいう場合,三っの種類があるようである。その―つは,理解したということで,論理的に,観念的にあるいは分析的に「解った」場合であり,二っ目は,他のものと区別ができ、パタ-ンが見えた等で「分かる」という言葉で表現することが出来る場合である。
 最後の一つは,この両者が総合され、さらに、脳の深いところで信念とされた場合で,納得した,腑に落ちた等と現わされる場合である。
 最初の「解った」の例はA=BでB=CならばA=Cのように、観念構成的,算術的,分析的なもので、第二の例は猫と犬とを区別するとか,大勢の人の中から自分の母親を見つけるとか,この焼物には味があるといった図形的,絵画的,全体的なもので,この二っが総合的になった場合にその人の行動を規定しやすくなるようである。さらに、意欲的、興味的といった感情が加わると、さらに信念的になる。
 最近,話題になっている右脳、左脳の役割分担とも関係しているようで「解る」が左脳「分かる」が右脳に関係するようである。
 さらに、心理学的に、深層心理と呼ばれている部分が加わると、信念としての知識となるし、場合によっては、「解る」や「分かる」を通り越して、信念としての意識になることもある。脳の神経系や情報伝達物質の最近の研究は、徐々にではあるが、このことを解明しつつある。
 「安全意識」とは何であろうか?