平野山高蔵寺(高倉観音)板東巡礼三十番札所

 
 本尊は聖観音で、用明天皇の御代に徳義上人による開山とされている。
 仁王門を入った正面に、大永六年(1526)藤原時重が建立した本堂が建っている。床柱が八十八本あって、床の高さは1.8メートル。床下を人が立って歩くことができる。
 徳義上人が修行を、当地でおこなっていたとき、激しく雷鳴が轟き、一人の老翁が現れた。そして、「永く国土を守護し、衆生を済度するため、観音飛来したもう」と告げ、阿薩婆の古木を指さすと、老翁は忽然と消えてしまった。上人が梢を見ると、四寸の観音が光り輝いていたので、里人とともに堂宇を建立した。後に行基菩薩が巡錫して、一丈あまりの観音像を作り、徳義上人が感得した尊像を頭部に納めたとされている。
 
 矢那郷の猪長官は、四十歳になっても子供ができないため、当寺に百日間籠もって祈願したところ、一女を授けられたので、子与観と名づけた。子与観はやさしい女性に成長したが、器量がよくなかったため、二十歳になっても良縁に恵まれなかった。そこで再び当寺に祈願すると、「鹿島へ行きて日天を拝せよ」とのお告げがあり、そのとおりにしたところ縁に恵まれ、生まれた男子が、後の藤原鎌足だという。この因縁によって、白雉年間(650〜654)鎌足が伽藍を建立した。