補陀落山那古寺(那古観音)
        板東三十三カ所巡礼第三十三番札所
 本尊は千手観音で、養老五年(721)に行基により開山れたと伝えられている。
 
 鎌倉から始まる巡礼道は、ここで満願の札所となる。
 仁王門を入り、平安時代後期の阿弥陀如来坐像(県文)を祀る阿弥陀堂、さらに宝暦十一年(1761)建立の多宝塔や本堂などが並ぶ。本堂外陣安置の銅造千手観音坐像は鎌倉時代の作で、国指定の重要文化財である。
 
 養老五年(721)の九月、行基菩薩が元正天皇の病の平癒を千手観音に祈願していると、本尊が壇上に現れて、安房国那古の浦にて日本の補陀落を祈れ、と告げた。
 そのころ安房国では、那古の浦の沖に大船が出現して妙音を奏でたので、人々は恐れて漁に出ることができなかった。そこに行基がやって来て、迎請の印を結ぶと、船は浜辺に近づき、なかから毘沙門天が現れて、香木を行基に与えた。その木で尊像を刻み安置したところ、たちどころに天皇の病も平癒したので、伽藍を建立したと伝えられる。
 源頼朝が帰依して堂塔を建立、足利尊氏や里見義実も篤く信仰した。江戸時代には、鶴岡八幡宮の別当を兼ね、二百八十余石を領して、隆盛を極めた。かつては山上にあったが、元禄十六年(1703)の大地震で倒壊し、宝暦九年(1759)岡本兵衛を奉行として、現在地である中腹に再建された。