大悲山笠森寺(笠森観音)豆知識
 板東観音巡礼路の三十一番札所である。本尊は十一面観音で、伝教大師が延暦年間(782〜806)に開基したとされる。
 

 参道途中には幹の根に近いところに人がくぐり抜けることのできる大穴があいた楠がある。この穴を通ると子宝に恵まれるといわれ、子授けの楠と呼ばれている。

 伝教大師が尾野上の郷に来た時、生い茂った木々の間から光明が射した。そこで山に登ってみると、山上に宝形の岩があり、その上に十一面観音を感じたが、そこには楠の古木があったので、その木で像を作り、仮堂を建てて安置したのが寺の起こりであると伝えられている。

 また、天慶年間(938〜947)獅子ヶ瀬に、箕作りの貧しい民家に於茂利という末娘がいた。上総の国司に玉前明神の神託があり、府中で田植祭を催し国中から乙女を呼び、、於茂利も府中に向かったが、大雨で、尾野上の観音堂は雨漏りがして、尊像が濡れていたので、不憫に思った於茂利は、自分の笠を尊像に掛けた。於茂利は最も器量がよかったので国司は都に奏上。朱雀天皇の寵愛を得て、ついに后妃となった。後に於茂利は尾野上に観音堂を建立、於茂利の笠ということで、笠森と呼ばれるようになったといわれる。

 現在の本堂は桃山時代の再建で、国指定重要文化財。他に例を見ない四方懸崖造で、日蓮上人が三十七日間籠ったという「参籠の間」が、本堂の片隅にある。