賀来氏関係カンケイ年表
西暦 元号 氏名ナド 氏名ナド 関係者 場所 事柄 出典
300 崇神天皇 大田田根子命   崇神天皇 大和三輪 三輪山の祭詞を命ぜられる 古事記、日本書記
587 用命元年 三輪逆   物部守屋大連 小治田宮 被害を受け死亡 日本書紀
600 推古8年 大神比義     宇佐鷹居社小山田社 応神八幡の成立、後、神宮皇后を加える 八幡神信仰の研究
645 大化元年 聖徳太子   蘇我馬子   大化の改新  
672 天武元年 三輪子首   天武天皇   壬申の乱の功績により賜内小紫位 三輪叢書
672 天武元年 天武天皇       壬申の乱  
684 天武12年       豊国 豊前、豊後に分かれる 大分県の歴史年表
702 大宝2年       豊前の国 豊前の国の初見  
736 天平8年 三輪豊島売       叙位従四位上 三輪叢書
746 天平18年 聖武天皇     国分 豊後国分寺建立 大分県の歴史
827 天長4年 金亀和尚     賀来郷 由原宮(賀来社)は宇佐八幡を賀来郷に勧請 大分県史料
830 天長7年 八幡大菩薩   右大臣夏野 賀来社 宇佐宮より大菩薩の初衣飛来 大分県史料09-75
836 承和3年 大江宇久国司     由原宮 由原宮神殿造成 大分県史料09-75
862 貞観4年 三輪全雄       賜大神朝臣姓 三輪叢書
862 貞観4年 三輪良臣       賜大神朝臣姓 三輪叢書
886 仁和2年 三輪良臣       その子庶幾を豊後にとどめる 豊後日誌
886 仁和2年 大神良臣   太宰府 太宰府 豊後介から帰任 豊日誌
892 寛平4年 大神良臣       豊後介に再任される 三輪叢書
892 寛平4年 大神庶幾       大野郡領となる 三輪叢書
912 延喜12年 大神諸任(惟基)       大野郡擬少領となる 三輪叢書
935 承平5年         和名抄なる 大分県の歴史年表
939 天慶2年 平将門     関東 平将門の乱  
939 天慶2年 藤原純友     瀬戸内海  
940 天慶3年 大神諸任(惟基)     佐伯サエキ 純友のツギショウとなる 本朝ホンチョウ世紀セイキ
940 天慶3年 大神諸任(惟基)     佐伯サエキ 官軍カングンツカまるも大赦タイシャさる 本朝ホンチョウ世紀セイキ
965 康保2年 仙照(由原宮師)     由原八幡宮 由原八幡宮最古の文書 大分県史料09-1
971 天禄テンロク2ネン 佐伯(目代)   宮師僧仙照 由原八幡宮   大分県史料09
998 長徳4年 由原宮     賀来荘 由原宮の領所とする 大分県史料09-75
1076 承保3年       妙見神社 創建(天正年間奈古に移る) 城井
1156 保元元年         保元の乱 日本ニホン年表ネンピョウ
1159 平治元年         平治の乱 日本ニホン年表ネンピョウ
1159/05 平治元年 ウジ ソウインセイカイ   ソウインセイカイ 地頭ジトウタイしてクワハタケ免除メンジョ申請シンセイ 柚原ユズハラ八幡宮ハチマングウ文書モンジョ19
1159/05 平治元年 ウジ     柚原社 セイリョウ寄進キシン 柚原ユズハラ八幡宮ハチマングウ文書モンジョ19
1160/01 エイレキ元年ガンネン 藤原フジハラヨリスケ   藤原フジハラ頼経ヨリツネ目代モクダイとなる 豊後ブンゴ 豊後ブンゴカミとなる 玉葉ギョクヨウ
1164/09/03 長寛チョウカン2ネン ソウインセイジョウ ゴン大宮司ダイグウジベンカン   賀来カク シンリツ仁王ニオウコウ殿デン地名チメイ賀来カク初見ショケン 柚原ユズハラ八幡宮ハチマングウ文書モンジョ22
1166 永万2年 藤原フジハラヨリスケ 男頼経壱岐守に任ず 藤原フジハラ頼経ヨリツネナオ豊後ブンゴにとどまる 豊後ブンゴ 豊後守を辞す 玉葉ギョクヨウ
1171 嘉応3年 由原八幡宮     由原八幡宮 豊後一宮と称す 大分県の歴史年表
1172 承安ショウアンネン 由原八幡宮 頼経ヨリツネ仕事シゴトハジめのをなす 頼経ヨリツネ仕事シゴトハジめのをなす 由原八幡宮   柚原ユズハラ八幡宮ハチマングウ文書モンジョ26
1172 承安ショウアンネン 緒方オガタコレオキ 緒方オガタ惟義コレヨシ 緒方オガタ惟義コレヨシ 柚原ユズハラシャ荘園ソウエン 庄司ショウジとなる? 賀来カクコウ
1177/08/16 治承ガン チュウベン藤原フジハラ朝臣アソミ 賀来カクシャ神官シンカン住人ジュウニンナド   賀来社カクシャ 賀来社カクシャ初見ショケン 柚原ユズハラ八幡宮ハチマングウ文書モンジョ27
1177/08 治承ガン 大春日立並下 賀来カクソウ神官シンカン百姓ヒャクショウジョ   賀来荘 賀来荘初見ショケン 柚原ユズハラ八幡宮ハチマングウ文書モンジョ28
1179 治承3年 緒方オガタコレオキ 緒方オガタ惟義コレヨシアニ   豊前ブゼン中村ナカムラ 豊前ブゼン中村ナカムラニンノチ賀来カク名乗ナノ 賀来カク彦三ヒコゾウ
1179 治承3年 佐伯惟家   大宮司ダイグウジヘイケイミョウ申状モウシジョウアン 賀来荘 賀来荘下司職に任命される 柞原八幡宮文書47
1180 治承4年 佐伯惟家     賀来荘 賀來カクアラタめる 柞原八幡宮文書47
1180/08 治承4年 源頼朝     伊豆イズ 挙兵  
1182 寿永元年 緒方惟栄 賀來カク 賀來カク 豊前 大畑オオハタナドを築城  
1183 寿永元年 賀来カクコレオキ 緒方惟栄 緒方惟栄 大畑オオハタジョウ 大畑オオハタ城主ジョウシュとなる 賀来カクコウ
1183/7 寿永2年 平氏 木曽キソ義仲ヨシナカ 木曽キソ義仲ヨシナカ 京都 都落ミヤコオ 大分県の歴史
1183/8 寿永2年 平氏     大宰府ダザイフ 大宰府ダザイフ 大分県の歴史
1183 寿永2年 安徳アントク天皇テンノウ 宇佐ウサコウツウ 宇佐ウサコウツウ 宇佐八幡 行幸ギョウコウ 大分県の歴史
1183/10 寿永2年 平氏 緒方惟義 緒方惟義 大宰府ダザイフ 大宰府ダザイフよりわれる 大分県の歴史
1184/02 元暦元年 佐伯三郎維康 平氏 緒方惟義 イチタニ 合戦カッセンクワわる 源平盛衰記巻36
1184/7 元暦元年 緒方惟栄 宇佐八幡 宇佐八幡 宇佐 宇佐八幡宮を焼き討ち 大分県の歴史
1185/2 文治元年 緒方惟栄 ミナモト範頼ノリヨリ ミナモト範頼ノリヨリ 豊後ブンゴ 豊後ブンゴ上陸ジョウリク 大分県の歴史
1185/3 文治元年 平氏     壇の浦 滅亡 大分県の歴史
1185 文治元年 緒方惟栄     上野国沼田 配流となる 大分県の歴史
1185/10 文治元年 緒方惟栄     上野国沼田 配流ハイルユルさる 大分県の歴史
1185 文治元年 源頼朝     全国ゼンコク 各地に守護、地頭を置く 日本ニホン年表ネンピョウ
1185 文治元年 宇都宮信房     豊前 豊前の地頭に任命 大分県の歴史
1185/11 文治元年 源義経 緒方惟栄 緒方惟栄 大物浦 大風のため遭難 大分県の歴史
1187 文治3年       豊前国 行橋市津能または京都郡豊津町 城井
1187 文治3年 賀来カクコレヨリ 大宮司ダイグウジヘイケイミョウ申状モウシジョウアン 惟康コレヤス 賀来カクソウ ソウ 柞原八幡宮文書47
1188/11 文治4年 八幡宮ハチマングウ柚原ユズハラシャ ゴンスケ藤原フジハラ朝臣アソミホカ     年貢米ネングマイ賀来荘カクソウヒラマルからてる 柞原八幡宮文書29
1192 建久3年 源頼朝     鎌倉 幕府を開く 城井
1195 建久5年 宇都宮信房     豊前 地頭として下向、仲津郡城井郷(京都郡犀川町)築上郡伝法寺荘 リョウホウ
1196 建久7年 仲原親能     豊後 豊後の守護となる 大分県の歴史
1197 建久8年       豊前国 豊前国図田帳を上申 大分県の歴史年表
1206 建永元年 大友能直(初代ショダイ     豊後 豊後守護を譲り受ける 大分県の歴史
1216 正応ショウオウネン 賀来惟綱   コレライ 賀来カクソウ コレツナ改易カイエキ 賀来荘史料28
1219 承久元年 源実朝     鎌倉 暗殺される 城井
1221 承久3年 大友親秀(2ダイ 幕府、鳥羽上皇 幕府、鳥羽上皇 京都 承久の変起こり大友親秀幕軍に従い京に攻め登る 大分県の歴史年表
1224 貞応3年 賀来惟綱     賀来荘 地頭職御下文 賀来荘史料28
1226/08/18 嘉禄2年 賀来惟綱鬼丸オニマル 北条ホウジョウ泰時ヤストキ   賀来荘 地頭の乱行ランギョウめる 柞原八幡宮文書31
1230/08 寛喜カンキ2ネン 賀来カクシャ 大介ダイスケコレムネ朝臣アソン 豊後ブンゴ国司コクシチョウ   賀来カクシャダイカミタカラ用途ヨウトとして阿南アナンゴウ神領シンリョウとする 柞原八幡宮文書32
1230/08 寛喜カンキ2ネン 賀来社カクシャ ゴンミギチュウベン藤原フジハラ朝臣アソン 太宰府ダザイフ ヒラマル ヒラマル神領シンリョウとし賀来社カクシャダイカミタカラヤクゴンせしむ 柞原八幡宮文書33-1
1233/07/17 天福テンプク元年ガンネン 阿南アナンゴウ 一条イチジョウゼン太政大臣ダジョウダイジン政所マンドコロ   阿南アナンゴウ地頭ジトウ名主ナヌシナド 阿南アナンゴウ一向イッコウ不輸フユとする 柞原八幡宮文書33-2
1234/03/01 ブンレキ元年ガンネン 柚原ユハラミヤ ホウハシ上人ショウニン幸秀ユキヒデ     キョウ寄進キシン 柞原八幡宮文書34
1236/11 嘉禎カテイ2ネン 柚原ユハラミヤ ホウハシ上人ショウニン幸秀ユキヒデ     キョウ寄進キシン 柞原八幡宮文書38
1248/05 宝治2年 賀来カク小次郎惟綱輿左衛門サエモンライミョウ法師ホウシ法名ホウミョウ妙念ミョウネン 北条重時 北条重時 賀来荘 賀来荘地頭惟綱に対し新補地頭に準じ給田加徴をあてる 柞原八幡宮文書41
1262/02 弘長二年 賀来カク地頭ジトウ惟綱 造酒正中原朝臣     地頭ジトウ乱行ランギョウ裁定サイテイ 柞原八幡宮文書44
1271 文永8年 大友頼泰(3ダイ     高国府 大友氏が下向 大分県の歴史
1272 文永9年 大友頼泰       東方トウホウ奉行ブギョウとなる 大分県の歴史
1275 文永12年 大友頼泰       警告ケイコクブン 大分県の歴史
1277/01 正慶ショウケイ元年ガンネン 小次郎惟綱ジュン       ガンレン亡父ボウフジュンとして記述キジュツ 柞原八幡宮文書66,67
1281 弘安4年 大友頼泰 蒙古軍 蒙古軍 筑前博多香椎カシイミヤ前浜マエハマ 第二次蒙古襲来 大分県の歴史
1283/07 弘安6年 賀来カク又次郎マタジロウ入道ニュウドウネン 駿河スルガカミヘイ朝臣アソミ 関東カントウ下知ゲジジョウ 肥後国永吉西村 肥後ヒゴクニ永吉ナガヨシ西村ニシムラ地頭ジトウ拝領ハイリョウ 鎌倉カマクラ遺文イブン14898、肥後ヒゴ平川ヒラカワ文書モンジョ
1284/03 弘安7年 賀来カク惟永コレナガ法名ホウミョウガンレン 大宮司ダイグウジヘイケイミョウ     賀来カク地頭ジトウ惟永コレナガ行動コウドウ申状モウシジョウ 柞原八幡宮文書47
1285/09 弘安8年 大友頼泰 北条幕府 北条幕府 豊後ブンゴ 豊後ブンゴコクデンチョウ注進チュウシン 大分県の歴史年表
1285/09 弘安8年 賀来惟永ガンレン     賀来荘 豊後國図田帳 大分県史料36-24
1285/10 弘安8年 賀来惟永ガンレン 豊後ブンゴコク大田タイデンブンアン   賀来荘二百200チョウ 地頭ジトウ御家人ゴケニン賀来カク五郎ゴロウ法師ホウシ法名ホウメイガンレン 鎌倉カマクラ遺文イブン15700
1287/01 正慶ショウケイ元年ガンネン 賀来カク惟永コレナガ法名ホウミョウガンレン ブツメイキョウコウサン     ブツメイキョウコウサン 柞原八幡宮文書66,67
1287/01 正慶ショウケイ元年ガンネン 賀来カクコレツネ ブツメイキョウコウサン     賀来カクガンレンコレツネ記述キジュツ 柞原八幡宮文書66,67
1287/01 正慶ショウケイ元年ガンネン 賀来カクコレイエ ブツメイキョウコウサン     賀来カクガンレン舎弟シャテイコレイエ記述キジュツ 柞原八幡宮文書66,67
1289/03 正応2年 大宮司経妙 ヘイケイミョウ 地頭願蓮 賀来荘 惟綱地頭職任命とそれまでの経緯 柞原八幡宮文書47
1297 永仁エイニン5ネン カマクラ幕府バクフ     鎌倉 徳政令トクセイレイ 大分県の歴史
1300/04 正安ショウアン2ネン 賀来カクコレマサ ゴン大宮司ダイグウジ 鎮西チンゼイ教書キョウショ   地頭ジトウ惟政コレマサ横領オウリョウについて記述キジュツ 柞原八幡宮文書50
1305/02 嘉元カゲン3ネン 賀来カク越中エッチュウシュ 柞原八幡宮   賀来荘カクソウ地頭ジトウ ノウマイ 柞原八幡宮文書53
1305/02 嘉元カゲン3ネン 賀来カク長門ナガトカミ 柞原八幡宮   ヘイマル地頭ジトウ ノウマイ 柞原八幡宮文書53
1310/12 延慶エンケイ3ネン 賀来カク小三郎コサブロウガンチカ 奉行所ブギョウショ     ブミ 豊後ブンゴ大野オオノソウ史料シリョウ62
1322/08 ゲンキョウ2ネン 賀来社カクシャ大宮司ダイグウジ 鎮西チンゼイキョウショ   柞原八幡宮 賀来氏カクシではない 柞原八幡宮文書55
1324/01 ゲンキョウ4ネン 賀来カクフルカワ 柞原八幡宮     カミヒトチョウ 柞原八幡宮文書56
1327/08 レキ2ネン 地頭ジトウ 柞原八幡宮 ソウゲンセイ   地頭ジトウ横領オウリョウ 柞原八幡宮文書57、58
1328/08 レキ3ネン 阿南アナンソウ地頭ジトウ 柞原八幡宮 ソウタモツハン   地頭ジトウ争論ソウロン 柞原八幡宮文書
133201 正慶ショウケイ元年ガンネン(北朝ホクチョウ 賀来カク地頭ジトウガンハス 柞原八幡宮     年中ネンチュウ行事ギョウジ次第シダイ 柞原八幡宮文書66,67
1332 正慶ショウケイ元年ガンネン(北朝ホクチョウ 賀来カク小次郎コジロウジュン ブツメイキョウコウサン     ジュンガンレン、願蓮のコレナガオヨ二郎ジロウコレツネ、舎弟が六郎ロクロウ惟家の記述キジュツ 柞原八幡宮文書66,67
1333 元弘3年 大友オオトモサダムネ(6ダイ 足利高氏 足利高氏に味方ミカタ 鎌倉 鎌倉幕府滅亡 大分県の歴史
1334 建武元年 後醍醐天皇       建武の中興 大分県の歴史
1334 建武元年 大友オオトモテイサイ 規矩キク高政タカマサ 規矩キク高政タカマサ 帆柱ホバシラジョウ 朝廷チョウテイメイにより 大分県の歴史
1335/09 建武2年 賀来カク五郎ゴロウ入道ニュウドウ 大友オオトモテイサイ     守護代シュゴダイ豊後ブンゴ高田タカダ宇佐ウサ八幡ハチマン関係カンケイ 増補ゾウホ訂正テイセイ大友オオトモ史料シリョウ5-1842
1335/11 建武2年 大友オオトモテイサイ惣領ソウリョウ名代ミョウダイ 朝廷チョウテイグン味方ミカタ 朝廷チョウテイグン味方ミカタ 箱根ハコネ 足利高氏を 大分県の歴史
1335/11 建武2年 大友オオトモテイサイ 足利高氏に味方ミカタ内応ナイオウ 足利高氏に味方ミカタ内応ナイオウ 伊豆イズ カングン 大分県の歴史
1336/01 建武3年 大友オオトモテイサイ 結城ユウキオヤミツ 結城ユウキオヤミツ 京都 大分県の歴史
1336/01 建武3年 足利尊氏 官軍カングン 官軍カングン 京都 官軍カングン敗退ハイタイ九州キュウシュウにのがれる 大分県の歴史
1336/3 建武3年 足利尊氏 菊池キクチビンタタカ 菊池キクチビンタタカ 多々良浜 尊氏軍が大勝、大友オオトモグンヒキいて東上トウジョウ 大分県の歴史
1336 建武3年 賀來カクベン阿闍梨アジャリ 大友オオトモテイジュン九州キュウシュウ官軍カングンクワわり 大友オオトモテイジュン九州キュウシュウ官軍カングンクワわり 玖珠クスジョウ 大友オオトモ惣領ソウリョウグンタタカうも落城ラクジョウ 大分県の歴史
1336 建武3年 賀来三郎 三条真度、宇都宮大和守 三条真度、宇都宮大和守 宇治川 宇治川合戦の恩賞 大分県史料02-389築上郡
1336/6 建武3年 賀来カク掃部カモンジョ入道ニュウドウ 大神オオガジュウノウ     玖珠クスタカ国府コクフタタカグンチュウジョウ 大分県オオイタケン史料シリョウ13-72
1336/7 建武3年 賀来カクベン阿闍梨アジャリ 戸次ベッキアサジュウ 賀来カクベン阿闍梨アジャリ舎弟シャテイ   玖珠クスタタカグンチュウジョウ 編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ399
1336/7 建武3年 賀来カク孫次郎マゴジロウ 戸次ベッキアサジュウ     玖珠クスタタカグンチュウジョウ 編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ399
1336/9 建武3年 カイ親王シンノウ     京都 征西セイセイダイ将軍ショウグン任命ニンメイ 大分県の歴史
1337/05 建武4年 賀来カクマゴ五郎ゴロウセイ 沙弥シャミ   稙田   編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ479
1337 建武4年 賀来カク五郎ゴロウセイ 沙弥シャミ   稙田   大分県オオイタケン史料シリョウ25-287
1338 歴応元年 足利尊氏       幕府開府 大分県の歴史
1338 歴応元年 大友オオトモウジタイ(7ダイ 足利アシカガ尊氏タカウジ 足利アシカガ尊氏タカウジ 大和ヤマト和泉イズミ 出陣シュツジン 大分県の歴史
1339 暦応2年 大友オオトモウジタイ 足利アシカガ尊氏タカウジ 足利アシカガ尊氏タカウジ 帰国キコク 少弐ショウニ菊池キクチグンタタカ 大分県の歴史
1339/07 暦応2年 賀来弥五郎入道セイ 小田次郎 小田次郎 豊後国玖珠郡 地頭職の件 大友資料517
1340/01 暦応3年 賀来弥五郎入道セイ ソウタモツカイ 小田次郎 豊後国玖珠郡 地頭ジトウショクショウブン 大友資料518
1341/06 暦応4年 賀来弥五郎入道セイ 一色イッシキハンウジ   豊後国玖珠郡 軍功グンコウ 編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ519
1342 康永コウエイ元年ガンネン カイ親王シンノウ     薩摩サツマ 薩摩サツマ上陸ジョウリク 大分県の歴史
1342/06 康永コウエイ元年ガンネン 賀来カク地頭ジトウジュン女子ジョシ薬師ヤクシオンナ 沙弥シャミ駿河スルガゴンカミ   賀来荘カクソウ 賀来カク地頭ジトウジュン女子ジョシ薬師ヤクシオンナ支配シハイメイ 柞原八幡宮文書83
1346 承和ジョウワ2年 大友オオトモテイハン 足利アシカガ尊氏タカウジ     地頭ジトウショクオコナ 編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ746,747
1346/05 承和ジョウワ2年 賀来治部丞大神惟世 陣道、足利尊氏下向の際の誓約 陣道、足利尊氏下向の際の誓約   カクチガ一揆イッキ盟約メイヤクショ 編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ748
1348 正平3年 カイ親王シンノウ     菊池キクチ 南軍ナングン指揮シキ一色イッシキグン対抗タイコウ 大分県の歴史
1349 正平4年 足利スナオフユ       少弐ショウニライショウタヨグンオコ 大分県の歴史
1350 正平5年 足利直義ナオヨシ       南朝ナンチョウに降る 大分県の歴史
1351/10 正平6年 足利アシカガ尊氏タカウジ       南朝ナンチョウに降る 大分県の歴史
1351/10 正平6年 大友オオトモウジトキ(8ダイ       南朝ナンチョウに降る 大分県の歴史
1352 文和ブンナ元年ガンネン 足利アシカガ尊氏タカウジ       南朝ナンチョウソム 大分県の歴史
1352 文和ブンナ元年ガンネン 大友オオトモウジトキ       南軍ナングンからハナれる 大分県の歴史
1352 文和ブンナ元年ガンネン 足利アシカガナオフユ       北軍ホクグンヤブれる南朝ナンチョウクダ 大分県の歴史
1353 文和ブンナ2ネン 一色イッシキ     大宰府ダザイフウラジョウ 少弐ショウニライショウタタカヤブれる 大分県の歴史
1353/02 文和ブンナ2ネン 賀来カクコレミツ 法名ホウミョウミツ エンセイリン 筑前チクゼンハリスリハラ 一色イッシキトウとしてハリスリハラ合戦カッセンにて 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ7-193、ぎホク文化財ブンカザイ
1356/03 建武ケンム3ネン 大友オオトモ刑部ギョウブウジトキ 菊池キクチタタカ   黒木クロキジョウ 黒木クロキジョウタタカ 豊筑ホウチクラン
1358 正平13年 カイ親王シンノウ     豊後ブンゴコク 豊後ブンゴコク進入シンニュウ 大分県の歴史
1358/02 正平13年 カイ親王シンノウ     宇佐ウサ八幡宮ハチマングウ 白鞘シラサヤニュウケン奉納ホウノウ 大分県の歴史
1358/04 正平13年 足利アシカガ尊氏タカウジ     京都 死亡シボウ 大分県の歴史
1358/12 延文エンブン3ネン 大友オオトモウジトキ     高崎城タカサキジョウ 高崎城タカサキジョウコモ南軍ナングン撃退ゲキタイ 大分県の歴史
1361 正平16年 斯波シバウジツネ     高崎城タカサキジョウ 九州キュウシュウ探題タンダイとして高崎城タカサキジョウハイ 大分県の歴史
1371 応安オウアン4ネン 今川イマガワハン     高崎城タカサキジョウ 九州キュウシュウ探題タンダイ今川イマガワサダ代理ダイリとして高崎城タカサキジョウハイ 大分県の歴史
1371 応安オウアン4ネン 大内オオウチ義弘       幕府バクフメイにより九州キュウシュウ探題タンダイタスける 大分県の歴史
1374 応安オウアン7ネン 大内義弘     豊前国、長門ナガト 豊前、長門ナガト守護職に任じられる 大分県の歴史年表
1375 英和エイワ元年ガンネン 大内義弘       幕府バクフメイにより九州キュウシュウ探題タンダイタスける 大分県の歴史
1380/12 ヤスレキ2ネン 地頭ジトウ賀来カク掃部カモンスケ ゼン備前ビゼンシュ     給人キュウジン注文チュウモン 南北朝ナンボクチョウ遺文イブン5628
1383 弘和コウワ3ネン 大友オオトモシン(10ダイ     豊後ブンゴ 所領ショリョウ増加ゾウカ 大分県の歴史
1384/11 イタルトク元年ガンネン 地頭ジトウ賀来カク掃部カモンスケ ゼン備前ビゼンシュ   柚原八幡宮 賀来カク地頭ジトウ柚原ユズハラ八幡宮ハチマングウ祭礼サイレイゴン 柞原八幡宮文書94
1392 明徳3年       京都 南北朝合一 大分県の歴史
1395 応永オウエイ2ネン 今川貞世       九州キュウシュウ 大分県の歴史
1398 応永5年 加来三郎 大友氏鑑 大友氏鑑 宇留津 大友氏鑑が大友親世に乱を起こした際氏鑑につく 築上郡史297
1412/12 応永オウエイ19ネン 賀来カク五郎ゴロウ四郎シロウ 大友オオトモシンチョ   津留ツル 津留ツル代官ダイカンショク停止テイシ 柞原八幡宮文書104
1414/07 応永オウエイ21ネン 賀来カク掃部カモン入道ニュウドウ ナガヒロ     柚原ユズハラミヤ神事シンジについて 柞原八幡宮文書106
1416 応永23年 大友オオトモシンチョ(11ダイ 大友オオトモ 大友オオトモ   家督カトク豊後ブンゴ筑後チクゴ守護シュゴショクとなる 大分県の歴史
1422/03 応永オウエイ29ネン 賀来カク小次郎コジロウ コウエイ     知行チギョウ給田キュウデン 柞原八幡宮文書108
1423 応永30年 大友持直(12ダイ 大友オオトモシンチョ 大友オオトモシンチョ   家督カトク豊後ブンゴ筑後チクゴ守護シュゴショクとなる 大分県の歴史
1425 応永32年 大友オオトモコウオヤオヤチョ長子チョウシ     三角サンカクハタケラン チョクコロされる 大分県の歴史
1432 永享4年 大内、大友     豊前国 大内,大友の戦いが始まる 大分県の歴史年表
1432 永享4年 大友親綱(13ダイ     幕府バクフ大友持直反乱ハンランによりオヤツナ大友オオトモ当主トウシュとし豊後ブンゴ守護シュゴショクとする、家臣カシン両派リョウハかれる。 大分県の歴史
1435 永享7年 大友持直     海部郡姫岳 姫岳城に拠る 大分県の歴史
1436/06 永享8年 賀来六郎五郎 大友親綱 大友親綱 姫嶽 大友親綱姫嶽着到軍に名あり 大分県史料31-305
1436/06 永享8年 賀来カク次郎ジロウ 大友親綱 大友親綱 姫嶽 大友親綱姫嶽着到軍に名あり 大分県史料31-305
1436/08 永享8年 大内持世     海部郡姫岳 姫岳城を落す 大分県の歴史年表
1439 永享11年 大友オオトモシンリュウ(14ダイ       大友親綱、チョクオトウトシンリュウ家督カトクユズ 大分県の歴史
1444 文安ブンアン元年ガンネン 大友オオトモシンシゲ(15ダイ       大友親シゲ親綱オヤヅナオトウトシンシゲル家督カトクユズる、豊後ブンゴ守護シュゴショク安堵アンドオヤシゲツマシンリュウ長女チョウジョ 大分県の歴史
1467 応仁元年 山名持豊 細川勝元 細川勝元 京都 応仁の乱 大分県の歴史
1469 文明1年 大友親繁 細川勝元 細川勝元   東軍として大内政弘と戦う 大分県の歴史年表
1469 文明1年 賀来カク主税チカラ 大友政親     東軍として大内政弘と戦う 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ33
1476 文明8年 大友政親(16ダイ       大友政親家督カトク 大分県の歴史
1477 文明9年 大友政親       豊後守護職を安堵 大分県の歴史
1484 文明16年 大友オオトモミギ(17ダイ       大友ミギ家督カトク 大分県の歴史
1489 延徳エントク元年ガンネン ハルツナ次男ジナンカミ九郎クロウ 大友オオトモカツセイオヤオトウト     大友勝依を介錯カイシャク 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ33
1490 延徳エントク2ネン 賀来カク采女ウネメ     大内氏オオウチシ関係カンケイ フダについて指示シジける 永弘ナガヒロ文書モンジョ1207
1492 明応メイオウ2ネン 賀来カク五郎ゴロウヒダリ衛門エモンハルツナ 大友オオトモオヤ     1492-1495に賀来氏カクシ大宮司ダイグウジとなる 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ13-357
1496/5 明応5年 大友オオトモミギ       大友義右死亡シボウセイオヤ毒殺ドクサツ 大分県の歴史
1496 明応5年 大友政親     舟木地蔵院 政親生害、大内オオウチ関与カンヨ 大分県史料04-1308 ナガヒロ文書モンジョ1308 増補改訂カイテイ編年大友史料13-35
1496 明応5年 賀来カク弾正ダンジョウチュウ 大友オオトモマサシン   舟木地蔵院 殉死ジュンシ 肥後ヒゴ文書モンジョ
1496 明応5年 賀来カク五郎ゴロウヒダリ衛門エモンツナ 大友オオトモオヤ     賀来カクシャ大宮司ダイグウジショク 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ13-357
1497 明応6年 大友親(18ダイ     豊後ブンゴ 大友氏オオトモシ 大分県の歴史
1497 明応6年 大友親       マエ守護職を入手ニュウシュ 大分県の歴史
1501/02 明応10年 賀来カクフジ兵衛ヒョウエジョウ 大内オオウチ輿 佐田サダ次郎ジロウ 佐田サダ ホンショウシロにてキズ 宇都宮ウツノミヤ文書モンジョ
1501 文亀ブンキ元年ガンネン 大友オオトモナガ(19代)     豊後ブンゴ 大友オオトモチョウ大友氏オオトモシ豊後ブンゴ守護シュゴショク安堵アンド筑後チクゴ豊前ブゼン守護シュゴショク筑前チクゼン肥前ヒゼン所領ショリョウ安堵アンド 大分県の歴史
1501 文亀ブンキ元年ガンネン 賀来カクコレヒデ     佐田サダ 豊後ブンゴ賀来カクよりキタ 佐田サダ郷土史キョウドシ
1501 文亀ブンキ元年ガンネン 賀来カクカミ兵衛ヒョウエジョウ 大内オオウチカタとなる   佐田サダ 大友氏オオトモシ妙見ミョウケンジョウ先登セントウ 宇都宮ウツノミヤ佐田サダ系図ケイズ
1505/07 エイセイ2ネン 賀来カクカミ兵衛ヒョウエジョウ 佐田サダ次郎ジロウ   佐田サダ 感状カンジョウ 佐田サダ文書モンジョ113p218
1507/03 エイセイ4ネン 賀来カク五郎ゴロウ左衛門ザエモンジョウハルツナ 大友オオトモシン   柚原ユズハラシャ 親治シンジ書状ショジョウ大宮司ダイグウジ沙汰サタとする 柞原八幡宮文書181
1508/10 エイセイ5ネン 賀来カク五郎ゴロウ左衛門ザエモンジョウハルツナ 大友オオトモ義長ギチョウ 宮師ミヤシ御坊ゴボウ 柚原ユズハラシャ 社頭シャトウ祈念キネンレイ 柞原八幡宮文書155
1509 エイセイ6ネン 賀来カク大蔵オオクラショウスケコレヒデ 善右衛門ゼンエモンジョウカミ左衛門サエモンジョウ   佐田サタソウ 境界キョウカイ論議ロンギ大蔵ダイゾウ代官ダイカンとして 速見ハヤミ郡志グンシp634
1509 エイセイ6ネン 大内オオウチオコ     豊前ブゼンコク 豊前ブゼンクニ守護シュゴショクとなる 大分県の歴史
1511/06 エイセイ8ネン 賀来カク備中ビッチュウシュ 大友オオトモシン     大友オオトモシンボウハン介錯カイシャクする 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ33
1512/06 エイセイ9ネン 賀来カク大膳ダイゼンスケ 大友オオトモオヤ     知行チギョウジョウ 大友オオトモ文書モンジョロク1-665
1512/11 エイセイ9ネン 賀来カク左京サキョウリョウ 大友オオトモチョウ     シャ留守番ルスバンモウしつけ 柞原八幡宮文書155
1512/12 エイセイ9ネン 賀来カク大蔵オオクラコレヒデ 古川フルカワ三郎サブロウ左衛門サエモン   古川フルカワ 古川フルカワソウ四方シホウアン 速見ハヤミ郡志グンシp635
1515 エイセイ12ネン 大友オオトモチョウ     豊後ブンゴ ジョウ治国チコク方針ホウシン)をサダめる 大分県の歴史
1518 エイセイ15ネン 大友義鑑(20ダイ       大友オオトモチョウ死亡シボウカン大友氏オオトモシ 大分県の歴史
1520/09 エイセイ17ネン 賀来カク右衛門ウエモン大輔ダイスケ 大友義鑑   筑後チクゴ 親父オヤジ戦死センシにより筑後チクゴクニナイ4チョウアズける 大分県オオイタケン史料シリョウ9-499
1521/12 大永ダイエイ元年ガンネン 賀来カク加賀カガシュ リュウシゲ     大宮司ダイグウジリュウジュウオボ 柞原八幡宮文書155
1521/12 大永ダイエイ元年ガンネン 賀来カク左京サキョウシン将監ショウゲン リュウシゲ     大宮司ダイグウジリュウジュウオボ 柞原八幡宮文書161
1521/12 大永ダイエイ元年ガンネン 賀来カク大蔵オオクラショウスケコレヒデ 善右衛門ゼンエモンジョウカミ左衛門サエモンジョウ   フル川村カワムラ 境界キョウカイ争論ソウロン ヤマ郷土史キョウドシp165
1524/04 大永ダイエイ4ネン 賀来カク大蔵オオクラショウスケコレヒデ 善右衛門ゼンエモンジョウカミ左衛門サエモンジョウ   フル川村カワムラ 境界キョウカイ争論ソウロン ヤマ郷土史キョウドシ
1524 大永ダイエイ4ネン 賀来カクトウヘイエイ 古河フルカワ景助ケイスケ   フル川村カワムラ 古河フルカワ景助ケイスケアン 宇都宮ウツノミヤ文書モンジョ84
1524 大永ダイエイ4ネン/04 賀来カク八郎ハチロウ大神オオガカンツナ       加冠カカン  
1529 享禄キョウロク2ネン 賀来カク左衛門サエモンダイ 田北タキタオヤイン     書状ショジョウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ16-155
1530 享禄3年 賀来カク右衛門ウエモン大夫タイフ 大友義鑑 大友義鑑 賀来 賀来で騒動起こる賀来カク鑑保カンポ死亡 大分県史料32-772
1530? 享禄3年 賀来カク民部ミンブショウスケ 宮師ミヤシ   柚原ユズハラシャ 宮師由来(賀来カク地頭ジトウ民部ミンブショウスケとあり) 柞原八幡宮文書219
1531/03 享禄4年 セイ大宮司ダイグウジ 津久見ツクミツネセイシャ奉行ブギョウ   柚原ユズハラシャ 進物シンモツ武具ブグなどの管理カンリメイ 柞原八幡宮文書163
1531/04 享禄4年 宮師ミヤシボウ 賀来カク左京サキョウリョウ   柚原ユズハラシャ 柚原ユズハラシャ旧記キュウキ返還ヘンカン 柞原八幡宮文書166
1531/05 享禄4年   東光トウコウボウエイゲン   伊賀イガカミ田口タグチ 賀来カク地頭ジトウ賀来カク五郎左衛門ゴロウザエモンコウ童子ドウジ賀来カクシン四郎シロウ非難ヒナン 柞原八幡宮文書164
1531/10 享禄4年 賀来カク右衛門ウエモン大夫タイフ 大友オオトモ義鑑ギカン     安岐アキゴウ武蔵ムサシゴウ還付カンプ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ15-401
1531/11 享禄4年 賀来カクカミ九郎クロウ 大友義鑑     阿南アナンソウナイ一部イチブアズかる 柞原八幡宮文書補遺ホイ229
1531/12 享禄4年 賀来カクカミ九郎クロウ 丹後タンゴシュホカ     阿南アナンソウナイ一部イチブアズかる通知ツウチ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ15-405
1532/10 天文元年 賀来カクカミ九郎クロウ   大友義鑑   ホウ珠山センにてソウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ11-p21
1532/11 天文元年 賀来カクゼン三郎サブロウ 賀来カク右衛門ウエモンジョウ民部ミンブジョウリョウ次郎ジロウ次郎ジロウ三郎サブロウトウ7又三郎マタサブロウ 大友義鑑 佐田サダ 豊前國妙見岳攻め感状 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ16-94
1533 天文2年 賀来カクカンジュウ 大友義鑑 賀来カクカミ九郎クロウ   感状カンジョウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ16-63
1534/1 天文3年 賀来カクカミ九郎クロウ 大友義鑑     感状カンジョウ 大友オオトモ文書録モンジョロク2-808
1534/4 天文3年   大友義鑑 大内義隆 速見郡勢場ヶ原 大内氏と戦う  
1534 天文3年 賀来カク五郎ゴロウ太郎タロウ 大友義鑑     跡地アトチ知行チギョウ小原オハラ弾正ダンジョウアズけられる 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ16-385
1535 天文4年 ゲン鑑綱     賀来社 土佐にて豊後帰国の際は,臼杵庄名字の地を寄進すると約束 大分県史料09-166
1536 天文5年 賀来カク右衛門ウエモンダイスケ 大友義鑑 賀来カク民部ミンブジョウ   親父オヤジ戦死センシ筑後チクゴノチアズけられる 賀来荘カクソウ史料シリョウ78
1536/7 天文5年 賀来カクシャセイ大宮司ダイグウジ紀伊キイシュ 大友義鑑   賀来社 礼状レイジョウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ18-479
1538 天文7年 賀来カク左京サキョウリョウ     賀来社 ユズハラミヤゾウタイ覚書オボエガキ 柚原八幡宮文書ユズハラハチマングウモンジョ169
1538 天文7年 賀来カク左京サキョウリョウカンジュウ     賀来社 ユズハラミヤガンブン 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ17-137
1538 天文7年 賀来カク左京サキョウリョウカンジュウ       イヌモノクミコト 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ17-235
1539 天文8年 賀来社カクシャ大宮司ダイグウジヒラカンツナ     賀来社 有識ユウシキ故実コジツ伝授デンジュ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ17-287
1540 天文9年 賀来社カクシャ大宮司ダイグウジカンツナ 大友義鑑     肥後国ヒゴノクニアズジョウ 賀来カク文書モンジョ
1540 天文9年 賀来景縁神右衛門尉 永松若狭守藤広 永松若狭守藤広 宇佐八幡 宇佐米送り状 大分県史料07-127
1540 天文9年 賀来カクチュウジョウ 佐田サタアサケイ   佐田サタ 宇佐八幡検査ケンサ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ17-287
1541 天文10年 賀来カク紀伊キイシュ 大友義鑑     唐人トウジン成敗セイバイ感状カンジョウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ18-531
1550 天文19年 大友義鑑       大友二階崩騒動 大分県史料34-2437
1550 天文19年 賀来カク民部ミンブショウスケ 大友氏オオトモシ肥後ヒゴコク検地ケンチシュウ     御判ゴハン遵守ジュンシュ 賀来荘カクソウ史料シリョウ78
1550 天文19年 加来カク丹波タンバシュ加来カク伊豆イズカミ加来カク治部ジブショウスケ加来カク弾正ダンジョウチュウ 小原オハラコレモト     肥後ヒゴ 熊本クマモト市史シシ中世チュウセイp545
1550 天文19年 賀来カク民部ミンブショウスケ 宮師ミヤシ     次男ジナンヤツフサマルショウ 柚原八幡宮文書ユズハラハチマングウモンジョ219
1550 天文19年 加来カク丹波タンバシュ加来カク伊豆イズカミ加来カク治部ジブショウスケ加来カク弾正ダンジョウチュウ 小原オハラコレモト     肥後ヒゴ 熊本クマモト市史シシ中世チュウセイp545
1551 天文20年 賀来カク民部ミンブショウスケ 大友義チン     肥後ヒゴでの感状カンジョウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ19-181
1552 天文21年 賀来カク民部ミンブショウスケ 大友義チン     肥後ヒゴ領地リョウチ打渡ジョウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ19-239
1552 天文21年 ヤツフサマル 大友義チン 寒田サムタ右京ウキョウスケムスメシオトク婚姻コンイン   柚原ユズハラ宮師ミヤシアト承認ショウニン 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ4-2423
1552 天文21年 佐田氏サダシ       佐田氏サダシ出自シュツジ記録キロク 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ19-159
1552 天文21年 ヤツフサマル ナガジュウ     柚原ユズハラ宮師ミヤシ交代コウタイにつき領内リョウナイ成敗セイバイモウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ19-287
1555 天文24年 賀来カク周防スオウシュ 大友義鎮     狩場カリバ奉行ブギョウ任命ニンメイ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ20-7
1556 弘治2年 賀来カク紀伊キイシュ 大友義鎮     紀伊キイシュアト没収ボッシュウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ2-1417
1556 弘治2年 加来孫兵衛惟康 大友義鎮 大友義鎮 塩田の城 大友の侵攻により降伏 築上郡史318
1556 弘治2年 加来壱岐守 大友義鎮 大友義鎮 下毛郡 大友氏大内氏と争い宇佐下毛両郡に侵攻 築上郡史316
1556 弘治2年 賀来カク紀伊キイシュ 臼杵ウスキカンゾク 佐田サダ弾正ダンジョウチュウ 佐田サダ 賀来カク紀伊キイシュ成敗セイバイモウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ20-96
1556 弘治2年 賀来カク紀伊キイシュ 大友オオトモチン 田北タキタチュウ次郎ジロウ   賀来カク紀伊キイシュ跡地アトチ田北タキタ忠次郎チュウジロウアズける 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ20-154
1556 弘治2年 賀来カク次郎ジロウ 大友義鎮     宇佐郡ウサグン三十六36ニンシュウ着到チャクトウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ20-106
1557 弘治3年 賀来カク九郎クロウ 大友義鎮   佐田サダ 在陣ザイジン見舞ミマ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ20-247
1559 永禄3年 大友オオトモ義鎮(21代) 将軍ショウグン義輝ヨシテル 将軍ショウグン義輝ヨシテル 筑前チクゼン豊前ブゼン 筑前チクゼン豊前ブゼン守護シュゴショク補任ホニン 大分県の歴史年表
1560/5 永禄3年 織田信長、今川義元     桶狭間 桶狭間の戦い  
1560 永禄3年 大宮司宮千代 大友義鎮 大友義鎮 賀来社 賀来掃部頭賀来鑑綱跡を安堵する 大分県史料09-185
1560 永禄3年 大宮司賀来氏カクシ ロウチュウ   賀来社 賀来社カクシャ地頭ジトウアテ 大友オオトモ年中ネンチュウ行事ギョウジ
1561 永録4年 大友義鎮 毛利氏 毛利氏 豊前門司 門司城を攻める 大分県の歴史年表
1561 永録4年 賀来カク和泉イズミシュ 毛利氏 佐田サダ弾正ダンジョウチュウアテ 豊前ブゼン ソムチンとある 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ21-84
1561 永録4年 賀来カクチンツナ 大友義鎮     チチ掃部カモンアタマアト賀来社カクシャ大宮司ダイグウジショクミヤ千代チヨ安堵アンド 柚原ユズハラ八幡宮ハチマングウ文書モンジョ185
1562 永録5年 大友義鎮     臼杵ウスキタンセイジョウ築城チクジョウ 宗麟と号す 大分県の歴史年表
1563 永禄6年 加来刑部大輔惟定     葛城神社 豊後より豊前奈古岩丸に来たり城主となる. 葛城神社御縁
1569 永禄12年 賀来カク宮内クナイジョウ 大友オオトモ宗麟ソウリン   田原タハラグン 軍功グンコウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ22-451
1569 永禄12年 賀来カク三郎サブロウ右衛門ウエモンジョウ 大友オオトモ宗麟ソウリン   規矩キクグン 手負テオ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ22-2220
1570 永禄13年 賀来カク民部ミンブショウスケ 宮師ミヤシゴウエイ(ヤツフサ   賀来社 宮師ミヤシ由来ユライ 柚原八幡宮文書ユズハラハチマングウモンジョ219
1571 元亀ゲンキ2ネン 宮師ミヤシゴウエイ 宮師ミヤシゴウエイ   賀来社 雑事ザツジ注文チュウモン 柚原八幡宮文書ユズハラハチマングウモンジョ190
1572 元亀ゲンキ3ネン 賀来社カクシャ大宮司ダイグウジ宮師ミヤシフサ 大友氏オオトモシロウシン連署レンショ   賀来社 ダイ神宝シンポウカイについて 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ36-164
1575 天正テンショウ3ネン 宮師ミヤシゴウエイ     賀来社 着座チャクザ次第シダイ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ23-316
1578/3 天正テンショウ6ネン 賀来社カクシャ 大友義統   賀来社 立願リツガン太刀タチ奉納ホウノウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ24-14
1578/11 天正6年 大友義統(22ダイ 土持氏 土持氏 日向 日州合戦、耳川の戦い 大分県史料33解題
1579/1 天正7年 大友義統     豊後ブンゴ臼杵ウスキ 宗麟ソウリンから家督カトクユズられる リョウホウ
1579 天正7年 加来カク孫兵衛惟康 大友氏 大友氏 宇留津城ウルツジョウ 大友氏オオトモシから離反リハン リョウホウ
1579 天正7年 宇都宮チン 大友氏 大友氏 城井キイジョウ 大友氏オオトモシから離反リハン リョウホウ
1580 天正8年 賀来カク左衛門サエモンダイ 大友オオトモ宗麟ソウリン 田北タキタショウテツ   結束ケッソク攪乱カクラン書状ショジョウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウベツカン
1580/4 天正8年 佐田サダ弾正ダンジョウチュウ 大友オオトモ宗麟ソウリン     宇佐郡ウサグンチュウ40チョウアタえる  
1580/3 天正8年 賀来カク右衛門ウエモン大夫タユウ 大友オオトモ宗麟ソウリン     田北タキタショウテツ自害ジガイメイずる 佐田サタ文書モンジョ北九州キタキュウシュウセン国史コクシ927
1580/4 天正8年 賀来社カクシャ大宮司ダイグウジ 大友オオトモトウ   賀来社 賀来社造営ゾウエイ指示シジ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ25-79
1582 天正10年 加来カク安芸アキカミトウチョク ナカジュウケン ナカジュウケン 大畑オオハタジョウ 島津氏シマヅシタタカ勝利ショウリする リョウホウ
1582 天正10年 加来カク安芸アキカミトウチョク 大友オオトモトウ 大友オオトモトウ 大畑オオハタジョウ 感状カンジョウける リョウホウ
1582/6 天正10年 織田信長 明智アケチ光秀ミツヒデ 明智アケチ光秀ミツヒデ 本能寺ホンノウジ 本能寺の変  
1583/1 天正11年 賀来カクチュウショウスケ 大友義統 佐田サダ弾正ダンジョウチュウ   安心院アジム神楽カグラ要害ヨウガイ兵糧ヒョウロウ 佐田サダ文書モンジョ297
1583/6 天正11年 佐田サダ弾正ダンジョウチュウ 大友オオトモラン 安心院アジム千代松チヨマツ   神楽カグラガク落城ラクジョウ 佐田サタ文書モンジョ北九州キタキュウシュウセン国史コクシ1063
1583/7 天正11年 佐田サダ弾正ダンジョウチュウ 大友オオトモラン 安心院アジムコウセイ   神楽カグラガク落城ラクジョウ 佐田サタ文書モンジョ北九州キタキュウシュウセン国史コクシ1064
1583/11 天正11年 大宮司ダイグウジ賀来カクチンツナ?) 大友義統   賀来社カクシャ 祭礼サイレイ御礼オンレイ ケン史料シリョウ25-178
1583 天正11年 大宮司ダイグウジ 大友義統   賀来社カクシャ 社殿シャデン造営ゾウエイ 柚原八幡宮文書ユズハラハチマングウモンジョ205
1585 天正13年 豊臣秀吉     大阪城 秀吉ヒデヨシ関白カンパクになる  
1585 天正13年 賀来カク兵部ヒョウブ少輔ショウユウ 大友義統     在陣ザイジン感状カンジョウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ24-114
1585/12 天正13年 豊臣秀吉 九州キュウシュウショ大名ダイミョウ 九州キュウシュウショ大名ダイミョウ 大阪城 秀吉ヒデヨシシタガうべしとの使者シシャ派遣ハケン リョウホウ
1585/12 天正13年 大友オオトモ立花タチバナ高橋タカハシ筑紫チクシ       秀吉ヒデヨシシタガ リョウホウ
1585/12 天正13年 島津シマヅ義久ヨシヒサ       秀吉ヒデヨシシタガわず リョウホウ
1586/2 天正14年 豊臣秀吉 大友宗麟 大友宗麟 九州 大友宗麟上京ジョウキョウしての願により九州島津シマヅ征伐セイバツ リョウホウ
1586/10 天正14年 島津シマヅ義久ヨシヒサ 大友オオトモトウ 大友オオトモトウ 豊後ブンゴ府中城フチュウジョウ 島津シマヅ府中城フチュウジョウ占領センリョウトウ竜王リュウオウジョウウツ リョウホウ
1586/11 天正14年 賀来カクチンツナ(大宮司ダイグウジ 大友オオトモトウ   高崎城タカサキジョウ 高崎タカサキジョウ整備セイビ感状カンジョウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ27-322
1586/11 天正14年 加来孫兵衛久盛 秀吉 秀吉 宇留津城(椎田町) 11月7日黒田軍により落城 城井
1586/12 天正14年 賀来カクチンツナ(大宮司ダイグウジ 大友オオトモトウ     島津シマヅ謀計ボウケイ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ27-359
1587/1 天正15年 島津シマヅ義久ヨシヒサ 秀吉 秀吉 豊後ブンゴ 島津シマヅ豊後ブンゴより退シリゾ リョウホウ
1587/2 天正15年 松寿ショウジュマル 大友オオトモトウ     チチチンコウアトリョウショウ 賀来カク文書モンジョ1-3
1587/3 天正15年 豊臣秀吉     豊前ブゼンウマガクジョウ 入城ニュウジョウ リョウホウ
1587/5 天正15年 島津シマヅ義久ヨシヒサ 秀吉 秀吉 大平寺タイヘイジ 降伏コウフク リョウホウ
1587/6 天正15年 黒田孝高 秀吉 秀吉   京都、仲津、築城、上毛、下毛、宇佐の6郡を封す. 城井
1587/8 天正15年 賀来カク刑部ギョウブジョウ 大友オオトモトウ   稙田ソウ 賀来カクアトツボ 柚原八幡宮文書ユズハラハチマングウモンジョ209
1588/1 天正16年 宇都宮ウツノミヤチンフサ 黒田クロダ官兵衛カンベエ 黒田クロダ官兵衛カンベエ 城井キイジョウ 一揆イッキ挙兵  
1588/1 天正16年 加来統直     大畑城(中津市加来) 宇都宮鎮房挙兵の際挙兵 城井
1588/3 天正16年 加来統直     大畑城(加来城)主 中津市加来、黒田セイによって討ち取られる. 黒田家譜
1588/6 天正16年 宇都宮ウツノミヤチンフサ     城井キイジョウ 領地リョウチ安堵アンドといつわられ開城カイジョウ リョウホウ
1588/11 天正16年 宇都宮ウツノミヤチンフサ     城井キイジョウ 城井キイジョウ入城ニュウジョウ  
1588/11 天正16年 黒田クロダ長政     城井キイジョウ 城井キイジョウ大敗タイハイ  
1589/4 天正17年 賀来カクサン7トウキュウ 大友オオトモキチトウ     カンジョウマツ寿ジュマル 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ28-115,116
1589/4 天正17年 宇都宮鎮房 黒田長政、孝高 黒田長政、孝高 中津城(中津市) 宇都宮鎮房中津城ナカツジョウにて謀殺さる. 城井
1589/4 天正17年 加来左内元郡 中津市二の丁城井神社内 中津市二の丁城井神社内 扇城神社 宇都宮鎮房とともに黒田長政に討たれる.30才 城井
1589/4 天正17年 加来藤兵衛尉惟元 宇都宮鎮房 宇都宮鎮房   宇都宮遺臣 築上郡志
1589/4 天正17年 加来刑部(惟定?) 加来左内の父 加来左内の父     城井
1589/4 天正17年 賀来カクトウヒサシ 大友オオトモキチトウ     吉統授統字家臣賀来三七、旧名統久、有書統久幼名松寿丸、後号   大神神九ロウ 増補訂正編年大友史料28-115,116
1589/7 天正17年 賀来カク兵部ヒョウブ少輔ショウスケ(三七父) 大友オオトモキチトウ     工事コウジ感状カンジョウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ28-147
1590 天正18年 黒田孝高     豊前 豊前を平定 大分県の歴史年表
1591 天正19年 賀来カク刑部ギョウブ大輔ダイスケ       参宮帳サングウチョウ 大分県史料26-369
1592 文禄元年 豊臣秀吉     朝鮮 朝鮮出兵  
1592 文禄元年 賀来中務少輔 大友義統 大友義統 朝鮮 高麗陣義統公供奉 大分県史料33-2247
1592 文禄元年 賀来中務少輔     朝鮮 戦死 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ28-384
1593/5 文禄2年 賀来兵部ヒョウブ少輔     朝鮮 トウシュウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ28-383
1593 文禄2年 大友吉統(トウアラタめ) 小西,黒田 小西,黒田 朝鮮 小西軍が明軍の平壌攻撃を受けるも援軍せず. 大分県史料34-解題
1593 文禄2年 大友吉統 秀吉 秀吉 山口 豊後ブンゴ召上メシアげられ毛利にお預けとなり,山口で幽閉される. 大分県史料34-解題
1594 文禄3年 賀来カク左京サキョウ入道ニュウドウ     山口 トウシュウ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ28-446
  慶長ガン 大宮司ダイグウジ     山口 トウシュウ  
1598 慶長3年 豊臣秀吉       秀吉死亡  
1599 慶長4年 大友吉統       幽閉を解かれ江戸へ移る 大分県史料34-解題
1600 慶長5年 賀来三七 大友義統 大友義統   会津表参陣を賀す. 大分県史料34-2361
1600 慶長5年 徳川家康       上杉征伐へ出発  
1600 慶長5年 徳川家康 石田三成 石田三成 関ヶ原 関ヶ原の戦い  
1600 慶長5年 大友吉統 毛利輝元 毛利輝元   西軍に与して毛利の軍艦にて豊後に向かう 大分県史料34-解題
1600 慶長5年 大友吉統       石垣原の合戦で敗れ,吉弘統幸ら戦死 大分県史料34-解題
1600 慶長5年 黒田長政       筑前52萬石に封ぜられる 城井
1615 元和元年 豊臣秀頼     大阪城 豊臣氏の滅亡  
1617 元和3年 宮師ミヤシゴウエイ(賀来カクハチフサ     賀来社カクシャ 賀来社カクシャガンブンアン 柚原ユズハラ八幡宮ハチマングウ文書モンジョ215
1620 元和6年 賀来三七の子       賀来兵部,三七の事項,賀来家の歴史を記述 大分県史料34-2361
1620 元和6年 宮師ミヤシゴウセイ     賀来社カクシャ 宮師ミヤシ由来ユライ賀来カク地頭ジトウ民部ミンブ少輔ショウスケヤツフサマルゴウエイ記述キジュツ 柚原ユズハラ八幡宮ハチマングウ文書モンジョ219
1625 寛永カンエイ2ネン 賀来氏カクシ ハルツナ次男ジナンカミ九郎クロウ     賀来氏カクシ家伝カデンハルツナシン九郎クロウ民部少ミンブショウスケ式部シキブダイスケ賀来カクコレトキなどを記述キジュツ 肥後ヒゴ古記コキ収攬シュウラン5-6
1638 寛永カンエイ15ネン 佐田サダカン左衛門ザエモンユウフサ       山蔵ヤマクラ賀来氏カクシ来歴ライレキあり 佐田サダ系図ケイズ
1640 寛永カンエイ17ネン 賀来カク左衛門サエモンジョウ       賀来氏カクシ来歴ライレキオボ 大友オオトモ文書モンジョロク4-2361-1
1716 正徳ショウトク5ネン 大神オオガナオヤマ       豊後ブンゴ図田帳ズデンチョウ孝策コウサク 鎌倉カマクラ遺文イブン
1744 延享エンキョウ元年ガンネン 佐田サダ       佐田氏サダシ系図ケイズ 増補ゾウホ編年ヘンネン大友オオトモ史料シリョウ33