賀来氏の祖先

賀来氏は豊後大神(ブンゴオオガ)氏からでている。豊後大神氏の祖は、学者のあいだでも数説があるが、平安時代のはじめの仁和二年(886年)、豊後介となって下向した大神朝臣(オオミワノアソミ)良臣(ヨシオミ)の孫の大神惟基(オオガコレモト)であるとする説が有力である。
大神良臣は仁和五年(889年)に任期が終えて職を去ろうとしたときに、人々がその徳を慕って留任を請い再任された。さらに寛平五年(893年)に再任の期が満ちて帰郷しようとしたところ、ふたたび惜慕されたため、太宰府はその子の庶幾(コレチカ)をとどめて大野郡領とした。この庶幾の子が惟基である。
惟基には、惟房(高知尾太郎惟政・三田井政次)、惟季(阿南次郎・四穂田次郎)、惟則(野尻三郎)、惟顕(直入四郎)、惟清(城原五郎)、惟通(朽網六郎)、惟平(植田七郎・季定)、栄基(大野八郎・基平)、惟盛(臼杵九郎・三重九郎大夫)の九人の男子(うち四人は庶子であるか、早世したためか五人とする系図もある)がおり、末子の惟盛が賀来氏と佐伯氏につながる。
惟盛から惟家までは約二百年近く離れているので、この間七から八代を経ていると考えられるが、現存する各家の系図はいづれも代が足りず脱落があると思われる。

大神朝臣良臣の祖先は、大和の大神(三輪)氏で、素サ鳴命(スサノオノミコト)に始まり、大和の国一の宮大神(オオミワ)神社の大神主家であった高宮(コウノミヤ)家として続き、その系譜は奈良県立図書館に三輪叢書として保存されている。